Story
「弱いパパでごめんね」一言だけのメモを残し、優しかった父は死んだ。そして母は壊れて消えた。家族も友達も、いない。
14歳の奈良希穂は、中学に入ってからずっと孤独な一人暮らしをしていた。ある日、学校の屋上で自称「天使」と出会い「人生最期の1日」を共に過ごすことに。何気ない1日の中で次々と現れるへんてこな人々の心の機微に触れ、希穂の世界は静かに揺り動かされていく。最期と決めた1日の終わりに彼女を待っていたものとは―。
2022年公開「幻の蛍」でデビューを果たした富山県出身の映画監督・伊林侑香と、第33回フジテレビヤングシナリオ大賞で佳作を受賞した伊吹一氏が再タッグを組む本作。普通に生きることが難しい世界で「生きる」という、人生の課題をオリジナル脚本にしたためた。
キャスティングは富山県在住の新人女優・中川聖菜を主演に抜擢。岩井堂聖子、芹澤興人、西村まさ彦ら、実力派の俳優陣が脇を固める。撮影には「幻の蛍」に参加した富山出身スタッフが多数集結し、全編オール富山ロケを敢行した。
生きることを諦めかけた少女の人生最期の一日に、数奇な人々との出会いで変わってゆく主人公をあたたかみのある映像で描く。
「弱いパパでごめんね」一言だけのメモを残し、優しかった父は死んだ。そして母は壊れて消えた。家族も友達も、いない。
14歳の奈良希穂は、中学に入ってからずっと孤独な一人暮らしをしていた。ある日、学校の屋上で自称「天使」と出会い「人生最期の1日」を共に過ごすことに。何気ない1日の中で次々と現れるへんてこな人々の心の機微に触れ、希穂の世界は静かに揺り動かされていく。最期と決めた1日の終わりに彼女を待っていたものとは―。
クラウドファンディングに
ご協力いただいたみなさま※アルファベット、50音順・敬称略
2回目のクラウドファンディングに
ご協力いただいたみなさま※50音順・敬称略
2009年1月13日生まれ、富山県出身・在住。
2021年より芸能活動を開始し、テレビコマーシャル等に多数出演。
200人超の応募者の中から抜擢され本作で映画初主演。
1984年生まれ、福岡県出身。
『苺の破片』(04/中原俊監督)でスクリーンデビュー。翌年、『妖怪大戦争』(05/三池崇史監督)にヒロインの川姫役として抜擢され、新人ながら堂々とした存在感を発揮し注目を浴びる。『真白の恋』(17/坂本欣弘(さかもと よしひろ)監督)で第32回高崎映画祭 最優秀助演女優賞を受賞。その他の主な出演作に、『シムソンズ』(06/佐藤祐市監督)、『黄色い涙』(07/犬童一心監督)、『フィッシュストーリー』(09/中村義洋監督)、『生きてるものはいないのか』(12/石井岳龍監督)『サムライフ』(15/森谷雄監督)などがある。
1980年12月1日生まれ、静岡県出身。
主演した『最低』(09/今泉力哉監督)にて、第10回TAMA NEW WAVEでベスト男優賞を受賞。『死神ターニャ』(14/塩出太志監督)にて、福岡インディペンデント映画祭2014で俳優賞を受賞。
その他の主な出演作に、『父ありき、母のにおい』(15/戸田彬宏監督)、NHK連続テレビ小説『らんまん』『エール』などがある。
1999年生まれ。愛知県出身。ヒラタオフィス所属。
近頃は俳優として映画、ドラマなどへ出演し、活動の幅を広げている。
主演を務めた映画『イマジナリーライン』(24/坂本憲翔監督)が、3/16(土)ユーロスペースにて公開予定。
1960年12月12日生まれ。富山県出身。俳優。
映画やテレビドラマ、舞台などで幅広い役を演じる。 映画やテレビドラマで活躍する一方、全国各地で演劇を通じた地域振興事業に参画している。
故郷富山で俳優養成講座 W.V.A を主宰し、その座員を中心に「演劇集団 げるなど後進の育成にも注力している。
1999年生まれ。富山県出身・在住。
2017年3月富山県立富山商業高等学校卒業。合同会社コトリに入社後、富山県内にて TVCM などの企画演出に携わる。 映画監督デビュー作「幻の蛍」で第17回大阪アジアン映画祭インディ・フォーラム部門において正式出品。
今作が映画監督2作目となる。
平昌南北平和映画祭2022 Spectrum部門 正式招待。ウィーン日本映画祭2022 正式招待。
1994年、山梨県生まれ。⻘山学院大学大学院法務研究科修了。
第33回フジテレビヤングシナリオ大賞佳作。執筆作品は、映画「幻の蛍」、TBS「埼玉のホスト」、フジテレビ「僕たちの校内放送」、FMとやま「⻄村まさ彦のドラマチックな課外授業」など。
1981年東京生まれ。
2007年ピアノ弾き語りによるメジャーデビューアルバム「御身」が各方面で話題にな り,坂本龍一や大貫妙子らから賛辞が寄せられる。「転校生 さよならあなた」(07 /大林宣彦監督)、「0.5ミリ」(14/安藤桃子監督)の主題歌を担当した他、 CM音楽 制作や文筆の分野でも連載を多数持つ。アルバム「余白のメロディ」は『ミュージッ ク・マガジン』誌の2022年のベストアルバム10枚に選出(ロック部門)された。著書 近刊に「天使日記」(スタンドブックス)、『日本人が移民だったころ』(河出書房 新社)など。
1982年生まれ。富山県南砺市出身 早稲田大学第一文学部 卒業
大学在学中よりコーラスグループのメンバーとして本格的にアーティスト活動を開始
赤坂BRITZ、渋谷公会堂など、大規模な会場での単独公演を成功させメジャーレーベルより作品をリリースする
現在は、東京・表参道を中心に富山・宮崎にも拠点を置き、ボーカルディレクター、アーティストのプロデュースマネジメントを軸にアート創作を展開している
1983年生まれ。
富山県出身。
2021年より、合同会社zooの設立。
芸能プロダクションzooの代表を務める。
2022年に公開された、オール富山ロケによる長編映画「幻の蛍」に、プロデューサーとして参加。
1989年生まれ。広島県出身、東京都在住。
ENBUゼミナール卒業後、主に演出部として映画やドラマに携わる。
現在は主に日本、アジア圏のインディペンデント系映画を中心に助監督を務める。
『My Endless Numbered Days』ショーン・ネオ監督(シンガポール国際映画祭上映)
『それぞれ、たまゆら』土田英生監督 等。
教育機関、企業、美術館、作家のプロモーション映像などを監督。
1978年生まれ45歳。砺波市在住。
映像の専門学校卒業後、東京の映像プロダクションに在籍し、番組制作やCM撮影を経験。
その後、地元テレビ局のカメラマンとして報道・情報番組やCM制作、放送技術など多岐に渡る業務を行う。2019年に独立し、Craft78 設立。
現在は県内外を問わず、CM・企業VP・番組制作を手掛ける。
一方で、2022年に公開された、オール富山ロケによる長編映画「幻の蛍」に、撮影監督として参加。
1979年生まれ 静岡県出身。
2000年代 初頭からフリーランスで映画、テレビなどの現場で録音助手として働き始める
録音技師としての参加作品
映画「アライブフーン」 「ロストケア」など
都内美容学校在学中、ヘアメイクのアシスタントから活動開始。
卒業後もヘアメイクを続けながら貸衣装店でスタイリストとして経験を積む。
現在は個人スタイリングを中心に、CMやカタログのスタイリング・ヘアメイクも担当する。
2022年に公開された、オール富山ロケによる長編映画「幻の蛍」に、ヘアメイクとして参加。
何気ない日常を切り取り、思春期の少女の葛藤・成長を丁寧に描いた、デビュー作「幻の蛍」。前作とは異なり、ファンタジーな要素が入った今作は、普通に生きることが難しい世界で「生きる」という人生の課題を、伊吹一(いぶき はじめ)氏による完全オリジナル脚本で制作された。
主人公・奈良希穂が自殺を試みる動機について、さまざまな意見を出し合い、話し合いが行われた。深掘りをしていく過程で、「統一教会」の事件が起きた。
世間は、なぜあの事件が起きたのか、その理由を知り、何が正しく何が間違っているのか各々考えさせられた。そして、家族を失い、友達もいない希穂と似た、孤独を感じている子どもたちへ、今だから伝えなければいけないことがあるのではないか。
2022年6月、さまざまな想いを詰め込み脚本が完成した。
希穂の住んでいる家は、実際にある市営住宅の一室を借りている。空き部屋を借りたため、もちろん家具やカーテン、電球すらもない状態だった。
希穂は3人家族だったため、ファミリー用の大きめの冷蔵庫やソファ、ダイニングテーブルをリサイクルショップからお借りして、3階の部屋まで運搬をした。
また、演出部が自宅からテレビや調理器具・衣類をたくさん用意し部屋を作り込んだ。
希穂は小学生の頃に母親に捨てられたため、その当時から時が止まってしまっているかのような部屋を表現するために、ランドセルや小学生のイラストなどがところどころに散りばめられている。
演出では、俳優部・演出部たちと物語をより良くするために様々なアイデアや意見を出し合い、協力し合いながら作品を創り上げた。
特に、馬場さんの設定は細かくオリジナルで作成した。監督が決めた天使界のルールを俳優部・演出部に共有し、撮影前から本読みや打ち合わせが入念に行われた。
また、主人公の中川聖菜(なかがわ せいな)とは、少しずつ変わる希穂の心境の変化を映し出すために、感情を10段階に演じ分けるレッスンを行った。レッスン後は本読みを行い、一つ一つのセリフが10段階のうちどの段階の感情で伝えるべきか、どうしてそう思ったか、2人で意見のすり合わせを何度も行って、希穂の感情を創り上げた。
2022年10月17日。希穂の家に馬場さんを招くシーンから、14日間の撮影が始まった。物語の中盤からの撮影だったため、希穂と馬場さんの距離感やお互いにどう思っているかなど3人で綿密に話し合いながら役を深めていった。特に、希穂の心境が少しずつ変化しているシーンのため、話し方や会話の間などを大切にしながら撮影が行われた。
そして撮影は順調に進み、19日には街の主要キャラクター(マジシャン・カフェの店員、アリを踏んだ女の子、同級生の女の子など)が大集合するラストシーンが撮影された。
内川沿いの公園のロケ地は開けた場所のため、コロナ禍での影響でマスクをつけた通行人や帰路につく大勢の小学生たちなどの映り込みが激しく、地域の人々にも協力していただきながらの撮影となった。
海辺で一夜を過ごしたシーンの撮影をするため、まだ辺りは真っ暗な早朝の海辺に、全スタッフが集合した。朝日が昇る前と昇った後の絶妙な時間差を撮影するため、朝日が昇る予定の30分前から両方のシーンの段取りを行い、入念な機材準備が何度も行われた。
太陽の動きが早いため、朝日が昇った後は時間との勝負だった。このタイミングを撮影できるのは1日で一度きり。全スタッフが砂浜を走り回りながら準備を行い、緊張感の中で撮影が行われた。
物語の舞台である富山は、秋の美しい季節に合わせて撮影が行われた。しかし、富山の天候は非常に不安定で、瞬く間に雨から晴れ、また逆戻りすることが頻繁に起きた。だが、1日の物語を描く上で、物語の流れや雰囲気を一貫して保つためにも、天候が大きく変わらないように見せる必要があった。
現場では臨機応変かつスピーディーな判断が求められた。天気が異なった場合も、場面での繋ぎを自然で統一感のあるものに仕上げるため、撮影・照明や太陽の向きなどにはこだわった。天候の急激な変化が映画に影響を与えないようにする挑戦を、スタッフ一同が連携し協力して撮影が進められた。
撮影において、射水市の人々にたくさんのご協力をいただいた。
観光課の一部であるフィルムコミッションが窓口になって、イメージにあう屋上を探すため何校も何校も見学し、突然の撮影依頼にも学校側が快く許可してくれた。
また、地域の公民館や市営住宅、駐車場などを使わせてくださったり、人と人のつながりを強く感じさせることばかりだった。
いま撮影を振り返ると、正直、全て苦労と葛藤の連続でした。期待はずれの天気や、撮影の時間制限、予想していなかったハプニング、たくさんの選択肢から、監督として決断をしなければいけない。その度にスタッフの皆さんや、私の拙い言葉に耳を傾け登場人物そのものとして役を生きて下さったキャストの皆さんに支えられました。チーム全員がこの作品をより良くするために意見を出し合い、持てる経験と知識を注いだ撮影現場。このような恵まれた環境で映画撮影を行えた事に改めて感謝の気持ちが込み上げ、と同時に映画を届けるということの責任を痛感しています。
そして「祝日」を経て、自分の創る作品で観た人の心を救いたいという、課題について挑戦することができました。「映像には人を動かす力がある」この業界に入る前に学んだ言葉です。自分が生み出す作品にも、その力が漲ればいいなと誰かに届く作品になれと願いながら、祝日を創り上げました。
富山の豊かな情景とそこに生きる少女の儚く揺れ動く心情を、大人から子供までそれぞれの年代の皆さまの人生と照らし合わせ、楽しんでご覧いただけたらと心から願っております。